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『薬害エイズ裁判和解12周年記念集会』東京丸の内で開催、92人が参加
被告企業と弁護団からおくられたスタンド花。
春の花いっぱいの集会となりました
和解12周年記念集会、今回は和解の日、3月29日が土曜日に当たった。

東京・大阪原告団の主催で、企画準備と運営は社福はばたき福祉事業団が事務局として行った。
被害者・一般の人・行政関係者など92人が参加した。
遠くはフランスの人が東京に来ていたのでと2人が参加した。
 
参加者による黙とう、献花を行い、春の花いっぱいの集会となり、会場は座りきれないほどであった。
医療ジャーナリストとして高名な大熊由紀子さんの講演があり、被害者の進行あいさつで12周年記念集会は終えることができた。
参加してくださった方々に、心より感謝申し上げたい。
エイズ原因ウイルスが混入汚染のある血友病治療用の輸入非加熱濃縮凝固因子製剤が使われ、日本の血友病及び類縁疾患5千人のうち、約1500人が感染被害を受けた。
当時、そしてその後約15年は、エイズ発症後の死亡率の極めて高い重篤な感染症として、また性感染症のため被害者のパートナーなども被害に巻き込まれた。
なんとか生きぬきたい、国・製薬企業の感染被害責任をはっきりさせ、生きるための責任や、最愛の家族を奪われた遺族等の救済を訴え1989年裁判提起した。

東京訴訟は「生きる訴訟」「怒りの訴訟」と位置付け、国や被告企業の責任で最新最善の医療体制、福祉・薬害再発防止などの恒久対策を最優先課題とした。
当初は匿名で提訴し、原告の姿が見えない裁判と社会は受け止めていた。
しかし、5日に一人、3日に一人と亡くなっていく被害者の惨状に、社会は正義感に燃え、社会正義の戦いと怒りのうねりはますます大きなものになって、遂に厚生省を取り囲む人間の鎖、そして医療者が待機する中エイズ発症した患者を含む命をかけた原告が厚生省前の日比谷公園に3日間座り込む「厳冬期の座り込み」に、厚生省・被告企業は孤立した。

裁判官面接に、病院からストレッチャーにのってかけつけた10代の少年の命がけの姿。
訴えの途中、救急車で病院に戻った。

1997年3月、被告らが全面的に責任を認めた和解が成立。

それから、12年。
残念なことに被害者の3分の1を超える611人の命が消えて行っている。
和解時からも100人以上が亡くなっている。

突きつけられた命を消される恐怖だけでなく、生活そのものを抑制しなければならない社会に刻印されたエイズ差別と偏見も、20数年経つが一向に消える兆しはない。

しかし、残された被害者の命がけの生き抜く戦いと希望をもって生き抜く決意に、和解記念集会は支えられていると思う。
 
厚生労働省からは残念ながら大臣の出席はなく、梶尾雅宏副作用被害対策室長の代読で終わった。

一方、被害者の実情を知らずして本当に反省はあるのかと、最低、集会等に被告企業も関心を示すべきだと呼び掛けてきたが、これまで1~2社だけだった被告企業の献花は、今回は被告企業4社(バクスター株式会社、田辺三菱製薬株式会社、日本臓器株式会社、財団法人化学及び血清療法研究所)から寄せられた。

薬害エイズ被害、今後もいろいろな場面で社会へ伝え続けていきたい。

12周年記念集会での講演は、「患者の声が医療を変える」という題名で医療ジャーナリストの大熊由紀子さんにお願いした。

遺族の悲しみについては、時間が経過すると軽減するのではなく逆に深まることを指摘されました。
 
厚生労働大臣からのあいさつを代読する梶尾副作用被害対策室長
大熊由紀子先生の講演
しかし、悲しみ、慰めあいに浸っているのではなく、同じ立場の人との出会いなどからステップアップもというような話が光った。

記念集会を企画していく本音はそこにある。

被害者の自立を目指して、10年記念集会に決意したところであり、教訓を生かして新たな社会に希望を積んで航海を続けたい。
 
(社福)はばたき福祉事業団理事長 大平勝美
 

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