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第1回 櫻井よしこさん
インタビュー
インタビュー第1回 ~Special version~
櫻井よしこさん【Yoshiko Sakurai】ジャーナリスト
<プロフィール>
1945年ベトナム生まれ。
ハワイ州立大学歴史学部卒業。
「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局員、日本テレビ・ニュースキャスターなどを経て、現在フリー・ジャーナリスト。
『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中公文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、『日本の危機』(新潮文庫)を軸とする言論活動で菊池寛賞を受賞。
著書に、
『論戦』(ダイヤモンド社)
『日本が犯した七つの大罪』(新潮社)
『教育が拓く未来』(PHP研究所)など多数。

最新刊は道路公団の政官癒着を暴いた「権力の道化」(新潮社)。
毎回このコーナーでは、時代の目撃者として語れる人にお話をうかがいます。
薬害エイズ事件を知らない若い世代にもこの事件の真相を語り継いでゆきたい。
そして、インタビューを通じてなんとなく事件を見聞きしてきた人へ届くようなメッセージを、あるいはこの時代を生きてきた私たちが胸に刻んでおくべき想いをさまざまな視点からお伝えしたいと思います。
初回スペシャル・インタビューを飾るのは、フリー・ジャーナリストの櫻井よしこさん。
ひとことでいうと薬害エイズ事件は、どんなことだったのか?
これまで多くの記者に何度となく聞かれたであろう質問に、まっすぐに相手の目を見つめ、言葉を尽くしその歴史的背景から語ってくれました。
~薬害エイズ事件が生まれた背景~
はばたき福祉事業団・大平理事長とは薬害エイズ訴訟の取材を介してから長年の付き合い

おっとりした独特な語りで数々の衝撃的ニュースを伝えてきた。
その柔らかな物腰からは想像もできないほど鋭い視点で、腐敗した事実を暴く。
時系列に沿って事件、関わった人名など克明に語る。
その取材力、記憶力には驚愕させられる。
13年ほど前から薬害エイズ事件を取材し始めた当時から、この人の姿勢は少しもぶれるところがない。

「遡ること、アメリカで1981年6月に発見された奇妙な病気から端を発します。症状が報告された患者はホモセクシャル、血友病患者、麻薬常習者。皆に共通するのは血液。これが血液によって媒介される病気で、血液製剤にウイルスが混入したと疑われたのはこれがきっかけでした」

「日本はバンパイアと呼ばれるくらい、世界の中でも血液製剤消費率が高い国。アメリカでは83年3月に加熱濃縮製剤が承認され、ウイルスが不活化された加熱処理製剤が使われ始めました。日本にも、その情報が伝えられ“非加熱濃縮製剤の使用についての疑問”が論じられました。それが厚生省レベルで形になったのが83年6月に設置されたエイズ研究班でした。そのトップが安部英(あべたけし)氏だったのです。しかし、日本では結局アメリカに2年4ヶ月も遅れて、85年7月にようやく加熱製剤が承認されました。その間、血友病患者は『出血予防のために非加熱濃縮製剤を使いなさい』と指導され、なかには宅急便で非加熱濃縮製剤を送る医者もいました。結果として、約2000人のHIV感染者が生まれたわけです。そのうち560人もの方々が既に死亡されています。」

非加熱製剤は83年から85年当時、日本で値引きされて大量に売られ、値引き幅は50%から60%にも及んだ。
一本投与する毎に、病院側には2万2500円から2万7000円の薬価差が利益となって入ってくる計算だ。
反対にクリオ製剤は国産で値引きがなかったために、病院側にとっての経済的メリットはほとんどなかった。
(薬害エイズ「無罪判決」、どうしてですか?―中央公論新社刊P45より抜粋)


「非加熱濃縮製剤は保険(公費負担制度が多くの都府県で実施されていたこと)もきいたから、患者の経済的負担はなく、同時に病院側には経営上のメリットがありました。エイズ研究班を設置するほどの危機感をもっていた国は、それが危険であることを知っていたはずです。なのに使われ続けたのです」。それが、薬害エイズ事件をひき起した大きな要因である。

この大型薬害事件に対し、誰もが取り上げるのを躊躇した時代。
血友病の権威、医師・安部英(あべたけし)氏を信じて従った患者がどのくらいいたのだろう。

「氏が非加熱濃縮製剤を主軸とした治療を続けたことは、血液製剤市場で最大のシェアを持っていたミドリ十字社を利するものではあっても、患者の生命を最優先する真摯な医療ではなかった、と思います。安部医師はエイズ研究班の班長となり、後に『治験を調整した』と述べています。それは、加熱製剤の開発で先行していたメーカーと遅れていたメーカーの足並みを揃えることを意味します。開発の遅れていたメーカーに時期を合わせることによって、皮肉にも厚生行政と医師の手によって薬害エイズの被害は拡大されていったのです」

バブル景気に踊っていた日本で、そのテーマはひときわ地味だった。
一筋縄ではいかないその情報を櫻井さんは自らの手で掬い、当時キャスターを務めていた「きょうの出来事」で何度も特集を組むことに。
1980年から16年もの間番組に出演し、どんなテーマであってもその姿勢は変わらなかった。

「番組終了の最後35秒で毎日コメントをいう機会を与えられる。そこでかなり辛らつなことも言わせてもらいました。35秒あれば、伝えたいことは結構盛り込めます。でも、薬害エイズ訴訟では、まだ隠されている国や医師の責任があると思うんです」
 

―エイズの少年との出会い―
櫻井さんが薬害エイズ問題に取り組むきっかけとなったのが、薬害エイズ被害者で発症してしまったユキちゃんという当時12歳の少年に会ったことでした。
彼は生後すぐに血友病だと診断され、非加熱製剤を投与されました。
櫻井さんが会った頃は、既にガン細胞が体中に拡がっていました。

「12歳なのに6歳くらいの背丈しかありませんでした。お父さんは職場をやめて、お母さんと共に病院に泊り込んで看病していました」

「エイズは、性行為や医療行為等での体液や血液によって感染していきます。風邪のウイルスなどと違って感染経路がハッキリしているためコントロール可能な病気。社会の偏見をなくすためには患者一人ひとりの姿を描くしかない」と考えスタートした活動は、中央公論での連載に。被害者の実像が浮かび上がったのは、これが初めてのこととなった。
櫻井さんの取材の原点は、『事実とは何か?ジャーナリズムの基本的立場は、いつでも弱い人々の立場にたってものを考えること』にある。それはまた「事実に語らせる」ことでもある。

「地方でも都会でも、医者と患者は上下関係にあります。風邪でちょっと医者にかかるのと違い、血友病患者は生涯を通じて医師に依存しがちです。薬や治療に疑問を抱いたとしても、容易には文句を言えない」。

分厚い著書『安部先生、患者の命を蔑ろにしましたね』(中央公論新社刊・櫻井よしこ著)でこうした内容がよくわかる。

あくまでも櫻井さんの取材の原点は、患者の立場にある。事実を客観的に伝えてゆくこと。
弱者の立場で考えることがジャーナリズムの大前提である。
しかし、それを実際に行動できるジャーナリストは櫻井さんの他になかなかいないのも現実ではないだろうか。

「もし、自分の家族だったらどんなふうに受け止めてどうするかを想像してみるとよいと思います」

エイズ患者を黙殺することがどれだけ残酷で卑劣なことか。
いや、エイズだけではなく、北朝鮮拉致問題なども同じかもしれない。
この国には政治家だけを責められない、無責任さと想像力の無さが蔓延している。
それが、櫻井さんのフィルターを通すとよくわかる。
 
~ジャーナリストとして今後の動きにも注目~
 安部英被告は責任能力が問えないという裁判所の判断で、刑事訴追そのものが消滅した。
では、松村被告はどうだろうか。

「7月1日には高裁で公判が開かれます。加えて櫻井よしこは名誉毀損の裁判が続行中です。地裁で勝訴したのが高裁で敗訴となり、現在は最高裁に預けられています。最高裁の判決がいつ出されるのかはわかりませんが、これからも薬害エイズ訴訟については、裁判を傍聴しつつ事実を報道してゆきたい」という。

加えて、新刊『権力の道化』で一挙に道路公団改革の裏事情が公開されたが「あのシステムでは間違いなくあと1~2年で破綻します。その時にもう一度、この問題を報道するためにも、よく観察しておきたい。教育、北朝鮮問題についても取材してゆくつもりです」と語る。

ジャーナリストとしての熱さを失わずに、これからも発信し続けてほしいものです。

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